広島地方裁判所 昭和29年(わ)774号 判決 1958年9月30日
被告人 水谷正信
主文
被告人は無罪。
理由
本件公訴事実の要旨は、
被告人は、水谷林業株式会社の取締役社長であるが、高坂晃正より同人所有の広島県比婆郡久代村字下滝十一番地の一所在山林七町九反十六歩上に生育する立木全部(晃正の先代たる景正の遺妻高坂浪子が景正の遺産は該山林を含めその全部が旭科学合資会社の所有なりと主張したため多年紛争が続けられて来た)を代金四千百万円で買受け、既に内金三千五百万円を支払つたが、同山林には、申請人高坂晃正、被申請人東城木材生産組合外一名間の昭和二十二年(ヨ)第一九号仮処分命令申請事件について、同年九月二日広島地方裁判所三次支部がなした仮処分決定、更に申請人旭科学合資会社、被申請人高坂晃正間の昭和二十三年(ヨ)第二六号仮処分命令申請事件について同年十月五日広島地方裁判所尾道支部がなした仮処分決定とが相交錯して執行され、前者については執行吏津川修一、後者については同喜多村浅夫がそれぞれその執行の任にあたり、同執行吏において相競合して同山林の立木を占有保管中であつたところ、田外均と相謀り、立木の伐採に着手するについて取敢えず後者の仮処分を解除すべく右尾道支部に対し、これが解除の申立をなしたが、訴訟は遅々として進まず、しかも高坂浪子は、同山林中、一町二反歩上に生育する立木を植田義信に売渡し、同人との間で、吉野簡易裁判所において裁判上の和解をなし、これが和解調書に基いて得た代替執行決定の執行と称して(一)昭和二十八年十月(二)昭和二十九年三月(三)同年六月と三回に亘り同山林の立木伐採搬出に取りかかつたので、これを阻止するため、高坂晃正名義によりその都度右各強制執行の停止決定を得させると共に、広島地方裁判所で得た仮処分決定によつて、高坂浪子側の伐採搬出を差止めるべく(一)に対しては執行吏山本雅楽をして申請人高坂晃正、被申請人旭科学合資会社外三名間の昭和二十八年(ヨ)第七〇八号立木伐採禁止等仮処分命令申請事件について同年十二月二十八日同裁判所がなした仮処分決定を、(二)に対しては執行吏生田照義をして申請人高坂晃正、被申請人旭科学合資会社外三名間の昭和二十九年(ヲ)第一九〇号執行方法に関する異議申立事件について同年四月十日同裁判所がなした仮処分決定を、(三)に対しては執行吏生田照義をして申請人高坂晃正、被申請人旭科学合資会社外三名間の昭和二十九年(ヲ)第三九九号執行方法に関する異議申立事件について、同年六月十九日同裁判所がなした仮処分決定をそれぞれ順次執行せしめ、高坂浪子等が伐採した同山林の木材及び立木全部について同執行吏等をして順次占有保管せしめる旨の措置をとらしめたが、前記の如く代金三千五百万円の支払をなし、しかもこれが金利に追われ損害は漸増する窮地に陥り焦慮の余りこの上は同執行吏等の占有を侵害してでも同山林の木材を入手しようと企て、
第一、田外均、三宅辰蔵と共謀の上、昭和二十九年七月一日、二日の二回に亘り、かねて田外均が右山林内に放置しておけば盗難の虞れありとして岡山県阿哲郡野馳駅に保管替の目的で同山林より搬出していた前記執行吏等の占有保管に係る木材二百石を岡山中国造林株式会社に売却する目的で同駅より発送してこれを窃取し、
第二、伊藤晃、尾上順一と共謀の上、
(一) 同年八月二十九日より同月三十一日までの間に、かねて田外均が前同様の目的を以て同山林より広島県比婆郡八幡駅及び岡山県阿哲郡野馳駅に搬出していた前記執行吏等の占有保管に係る木材約二百石を右両駅より桑名市方面に発送してこれを窃取し、
(二) 同年八月三十一日より九月六日頃までの間、仮処分公示札を無視して同山林に人夫をして立入らしめ、前記の通り高坂浪子等が伐採した同執行吏等が占有保管中の伐採木材約三百八十五石を同山林より前記八幡駅及び野馳駅に搬出してこれを窃取すると共に同執行吏等が施した仮処分の標示を無効たらしめ、
(三) 同年九月四日頃より同月十五日頃までの間、仮処分公示札を無視して同山林に人夫をして立入らしめ、同山林中に生育する立木約二百石を伐採してこれを窃取すると共に同執行吏等が施した仮処分の標示を無効たらしめ
たものである。
右公訴事実の外形的事実は被告人の当公廷における供述、その他検察官提出の各書証により認めうるところであるが、これを些細に吟味するに、
(一) 先ず被告人が本件山林の立木を買受けるについてとつた措置を三宅辰蔵、長井源、田外均、被告人の検察官に対する各供述調書、第六回公判調書中、証人長井源の供述記載並びに被告人の当公判廷における供述により検討するに、被告人は売買契約を締結する事前である昭和二十八年八月頃、弁護士長井源に、これが調査を依頼し、その結果、同弁護士が各種の書類に基き調査をなしたところ、本件山林は高坂景正の遺産に属し、これが所有権をめぐつて多年、高坂浪子等との間に紛争が続けられて来たが、所有権は家督相続人たる高坂晃正にあることが確定していること、当時本件山林に関して二個の仮処分が相競合して執行せられていたが、一は売主たる高坂晃正申請に係るものであるから容易に解除し得ること、他は旭科学合資会社申請に係るものであるが、この分の本案訴訟は既に第一審において同会社の敗訴となつているから、取消申立をすれば約一ヶ月を以て取消し得ると認められること、それ故、本件山林の立木を買受けても支障なしとの結論を得て、これを被告人に通告し、これに基いて被告人は同年十二月から伐採搬出にとりかかり、約一ヶ年で作業を終了するとの見込のもとにこれを買受けることに決し、同年十月三十一日正式契約を取りかわしたことが認められ、かかる経緯よりすれば被告人は契約締結に当つて綿密周到なる注意を尽していたと言うべく、軽卒として責むべき何らの事情も存しない。
(二) ところで前掲各証拠、並びに広島地方裁判所尾道支部昭和二十八年(モ)第二二四号仮処分取消申立事件記録、及びこれに附属する一件記録によれば、契約締結の直後たる昭和二十八年十一月十日被告人側の弁護士長井源は、高坂晃正の代理人となつて、広島地方裁判所尾道支部に対して、同裁判所昭和二十三年(ヨ)第二六号仮処分決定の取消を申立て、これが口頭弁論期日は昭和二十八年十一月二十五日に指定せられたところ、相手方会社の代表社員たる高坂浪子はこれに対して同年十一月二十四日、申立人高坂晃正の法定代理人と僣称して訴の取下書を提出したが、更に口頭弁論期日が昭和二十九年四月二十八日と指定せられるや、相手方はこれに対して抗告、再抗告をなす等の挙に出でる一方、広島地方裁判所尾道支部昭和二十八年(モ)第二三一号裁判官忌避申立事件記録、及びこれに附属する一件記録によれば、相手方は右仮処分取消申立事件について、昭和二十八年十一月二十五日裁判官忌避の申立、同年十二月九日裁判官忌避申立却下決定に対する抗告申立、昭和二十九年一月二十五日裁判官忌避申立却下決定に対する抗告棄却決定に対する特別抗告申立をなし、右特別抗告は同年二月十九日却下になつたが、巧に訴訟法の盲点をついて訴訟の遅延に努め、仮処分解除の結果を得るに至らなかつたことが認められる。
(三) 而して更に前掲(一)記載の各証拠並びに裁判所書記官作成の被告人池田浄吾に対する封印破棄等被告事件の判決謄本及び広島高等裁判所昭和二十九年(ラ)第二一号強制執行停止の仮処分決定に対する抗告申立事件記録によれば、高坂浪子は弁護士池田浄吾等と相謀り、本件山林の立木を伐採しようと企て、その手段として、これを他人に売却し、買受人との間に裁判所より和解調書を得て、これに基く代替執行に藉口して、公訴事実記載の如く三回に亘つて伐採を強行し来つたので、被告人等は、その都度、強制執行停止の仮処分決定を得て、順次これを執行して伐採を阻止する措置を講じたが、高坂浪子等は、第三回目の代替執行に対する停止決定に対して昭和二十九年六月二十一日即時抗告と称して不服申立をなし、即時抗告が執行停止の効力を有する旨の規定に藉口して一時停止を受けたその執行力が解除されたと主張して伐採を強行したので、弁護士長井源、田外均等は数回に亘つて地元警察署検察庁に交渉し、警察力の発動を求めて伐採を阻止しようと努めたが、警察署、検察庁は、容易に動く気配を示さなかつたので、被告人等は、一時は、かくなる上は実力を行使してでも阻止しようと決意するに至つたが(叙上(二)(三)の経過につき別表参照)、右山林については依然高坂浪子等の手により立木が伐採搬出される虞があつたことが認められる。
(四) ところで、前掲(一)記載の各証拠並びに尾上順一、伊藤晃の検察官に対する各供述調書によれば、被告人は、本件売買契約を締結した昭和二十八年中に代金四千百万円の中、内金三千五百三万円の支払をなしたが、それはすべて被告人が知人の援助により岐阜共立銀行、東海銀行等から借受けて支払つたものであり、前述の如く予期に反し徒らに時日を徒過して伐採に着手し得ないばかりか、高坂浪子等の伐採に対処するための諸経費も嵩むばかりで加えてこれが金利も漸増し、これがため金策に苦慮していたが、遂に昭和二十九年六月に至り高利の金銭を借受ける破目に陥り、その借受金の金利は一日約四万円に達するに及び、ここに至つて被告人は遂に万策尽きて、同年六月二十五日頃、配下の三宅辰蔵に対し、右山林中の立木伐採木を売却することを指令し、同年七月、八月、九月に亘つて公訴事実記載の如き所為に出でたものであることが認められる。
(五) 然しながら、かかる被告人の所為は違法たるを免れないとしても、前認定の如き四囲の事情のもとにおいては、当時同じくその衝に当る他の通常人をもつてしてもこれが違法行為を避け他に適法な行為に出ることは到底期待し得なかつたと認めるのが相当であり、従つて社会一般の道義に照しても非難のできない所為というべく、その責任を阻却するものであるから、本件被告人の所為は罪とならないものとして刑事訴訟法第三百三十六条により無罪の言渡をする。
よつて主文の通り判決する。
(裁判官 小竹正 渡辺宏 上野国夫)
経過表
広島地方裁判所尾道支部に申立した仮処分取消申立事件の経過
二八、一一、一〇 仮処分決定取消の申立
(二八、一一、二五を口頭弁論期日と指定)
〃 一一、二四 僣称法定代理人による訴の取下
〃 一一、二五 裁判官忌避の申立
〃 一一、三〇 右却下決定
〃 一二、 九 高裁へ抗告申立
二九、 一、一八 高裁で抗告棄却決定
〃 一、二五 最高裁へ特別抗告
〃 二、一九 特別抗告棄却決定
(二九、四、二八を口頭弁論期日と指定)
〃 四、一一 期日指定に対し異議の申立
(〃四、一三次回期日は追而指定と決定)
〃 四、一二 抗告状提出
〃 四、三〇 抗告却下決定
〃 五、一一 再抗告状提出
〃 六、三〇 再抗告却下決定
〃 七、一四 口頭弁論期日を二九、七、三〇と指定
〃 七、二八 高坂浪子二九、七、一〇退社の通知
〃 七、三〇 相手方不出頭
代表社員を目瀬吉次とする
次回期日二九、八、一一と指定
右口頭弁論期日指定について抗告
高坂浪子等が山林を伐採した経過
自二八、一二、一三 吉野簡裁二八年(サ)二六号代替執行決定等により約四〇〇石伐採
至 〃 〃 二八
(広島地二八(ヨ)七〇八号仮処分決定により停止)
自二九、 三、二七 吉野簡裁二九(サ)七号代替執行決定により約四〇〇石伐採
至 〃 四、一〇
(広島地二九(オ)一九〇号仮処分決定により停止)
自二九、 六、一三 吉野簡裁二九(サ)一二号代替執行決定により約一、〇〇〇石伐採
至 〃 〃 二九
(広島地二九(オ)三九九号仮処分決定により停止)
自二九、 六、二三 即時抗告をしたとして約五〇石伐採
至 〃 〃 二八